昭和41年09月14日 朝の御理解
心配で夜が眠られないと、いろいろと次から次と思うたら、愈々心配が大きく、愈々不安が募る。と言う人は多いけれども、思えば思うほどおかげを頂いておるもんじゃなー、あれもおかげこれもおかげと分からして頂いて、とにかく有難くて夜も眠られんと言うような人がまずない、ね。ならそして、不安で不安でたまらない、心配で心配でたまらないということが、果たして心配になることか、不安になることか。
不安にも思わんで良い、心配でもせんで良いことを自分で一生懸命取り越し苦労をしたり、心配したりしておる。そして夜は眠られんという。と言うてなら、そのありがとと思えば思うほどあれもおかげこれもおかげと分からして頂いたら、ほんとに夜も眠られん位に有難いと、というものが、これで良いのだろうか、これだけのおかげを受けてあれもおかげこれもおかげと、ありがとうして有難うして、ほんとに眠れん位の有難さと言うようなものを大体が感じられなければ、感じなければ嘘なんだ。
これは本当のことなんだから、おかげを受けておるということは。不安と言うことは、心配ということは、これは例えば甲の人が心配しておる。それを乙の人が見た場合です、あのくらいなことはあげん心配せんでよかところに、あげな取り越し苦労はせんでよかところへと、ね、怖くもないものを怖いと思うたり、心配にならないものを心配と思うたり、ね、してるのですから、おかしいじゃないですか。
本当は思えば思うほどあれもおかげこれもおかげ、思ゃ思う、ほんとに思うてみりゃ思うてみるほど、晩も眠れんぐらいありがたか、こういうところまで信心をほんとに分からして頂かなきゃいけんと思うですね。それでもやはり私たちの前に様々にこう真っ黒い障害と言ったようなものが横たわって参ります。これはやっていけるだろうか、やりぬけていけるだろうか、このままほっといていいんだろうかと。
決してそれはですね、そんな心配するこっちゃない。問題は自分自身が本気でそのことに信心で取り組まして頂いたらです、どういうことの結果になるだろうかと。いつもその例話をもって私が話しますように、久留米の初代の石橋先生といや、あんな大徳を受けられた先生、その師匠であるところの桂先生。桂先生がある先生方の会合の時に最後に御のうらいのお神酒が出た。そしてそのお神酒をその頂きながら桂先生が石橋先生に向って言われた。「石橋さん、あんたんところの息子は馬鹿じゃな」と仰った。
なるほどお小さい時に高い所から落ちてから、頭を打っておられますよね。ね、ですからなるほどいゃ、ちったおかしかといゃ、おかしいです。ところが私どもはもう初代よりも二代の方がよく知ってるんですけれども、もうご結界でお取次ぎを願わしてもろうたり、御祈念やらして頂くときにはもう身の縮むような御祈念をなさりよりましたですね。で、こちら下がられるともうほんと馬鹿んごとあることばっかり、ま、いわば言うたりしたりしんなさるですもんね。
けどもやっぱ神様はよう使いなさるときには、ちゃんとしたもんでしたですね。ほんとに若先生と言わずに馬鹿先生、馬鹿先生やっぱかげでも言うたんです。それをいわば、あれはですね、でないなら、そう言われなさらんけども、ほんとにそうであるるのをそう言われたら、腹が立ちますね、誰でも。親の身になってみりゃ、しかも満座の中で。あんたんとこの息子は、馬鹿じゃねちおっしゃった。親先生て、もうおかげで信心がでけますちいわっしゃた。
ああいう息子がおりますおかげで、私は修行ができますち。石橋さん、でかしたというてその盃を出されたというお話が残っております。ね、ほんにこの息子はどげんなるじゃろうか、どげんなるじゃろうかと思うたらほんとに不安で、心配でたまらんだろう。けども今はその石橋先生は、おかげで信心が、ほんとにそのことによって信心をなさ、そのことによって、修行させられておられた。それを有難いと思うておられた。だからとっさに…?嘘つかれたんじゃない。おかげで信心がでけますと仰った。というはこういう・・という。それが本当なんだ、ほんというたら。
こういう心配、心配せんでよいのだけれども、心配になる。これは信不足、信心不足、けども心配になるからこそ、これだけの修行もでけた、これだけの信心もでけます、おかげで信心がでけますというときに、なるほど木の切り株に腰をかけても立つときには礼を言う心持になれよと仰るが、ね、そういう心持を分からしてもらう時にです、ほんとにお礼を、そういうことがおかげであるということになったら、ほかのこと一切がおかげと言うことになるでしょうが。
そのおかげをおかげとも気付かずに、おかげ頂いとるとは思うばってんぐらいなことでしまうと言うのではです、ね、神様にたいしていよいよ相済まんということになる。私どもいよいよ有難しの一念をです、ね、貫かして頂くためにも、私どもがいま難儀と感じておる、心配と思っておることをです、ほんとにおかげと分からしてもらう。
いやそのことによって信心がでけておる。そのことのおかげで、今まで踏ん切りがつかないところに踏ん切りがついて、例えば改まりがでけたと、信心がでける、修行がでける、言うことになって参ります時に、確かにおかげで信心がでけますとということになるのじゃないでしょうか。
私どもが、不安、心配ということをほんとに、ま、自分より少し信心のでけた人が見ると、その人にとっては心配かも知れん、夜眠られんごたある不安かも知れん。けども不安どころじゃない、心配どころじゃない。ほんとにおかげの塊のようなもの。力を受けさせて頂く、いわばその土台になるような有難いものを私どもが不安心配ですごしたんでは、相済まん。
一つ本気でです、もう思えば思うほど、あれを思うてもこれを思うても、おかげ頂いとるもんじゃあるなと、思ゃ思うほど、真剣にです、ありがたうならして頂いて、もう思いよるともう有難うして有難うして、晩眠られんごたある、というぐらいな信心にならして頂いたら有難いですね。
どうぞ。